いつか来る旅の終わりまで


 ベルは、ホテルの部屋に着くなりベッドに倒れ込んだ。

 ベッドのスプリングが軋んで、疲れきった彼女の体を優しく受け止める。帽子も取らずにそのまま寝転がり、息を吐く。半日かけて歩き通したせいで、足は棒のようになっていた。
 疲れきっているのに眠気が感じられないのは興奮しているせいだろうか。今日はあまりにも色んな事がありすぎた。
 目を閉じると、瞼の裏に煌びやかなライモンシティの夜景が浮かんでくる。

 大輪の花火のような観覧車、虹色の光を反射させながら水飛沫をあげる噴水、リトルコートとビッグスタジアムのナイトゲームの照明は夜空に光の帯を映し出し、真昼のように眩しく輝いていた。色とりどりのネオンで彩られたミュージカルホール。
 そして、自分を追いかけてきた父の姿。


 『ここまで旅をしたんだ。もう充分じゃないか』


 ふっと浮かんできた父の言葉を、ベルは頭を振って追い出そうとした。
 しかし、思い出してしまえば中々頭から離れてはくれない。つい先程のことなら尚更だ。

 カノコタウンを旅立った日を思い出す。一ヶ月と少し前のことなのに随分と昔に感じられた。両親と一緒に暮らしていたあの頃は、特に代わり映えのしない毎日を送っていた。幼馴染と遊ぶのは楽しかった。何気ない日常を送るのが幸せだった。しかし、街の外への憧れは日に日に募り、いつかは自分もテレビドラマのようにポケモンと一緒に旅立つことを夢見ていた。
 そしてそれは叶えられ、今はこうして遠い街で一人、ベッドに寝転んでいる。
 ポケモンとの旅はとても楽しくて、辛いことがあっても楽しさと比較すれば些細なことに思えた。ポケモンと過ごす日々はライモンの夜景よりもずっと輝いている。テレビドラマのようには上手くいかないけれど、パートナーの支えもありここまで来れた。

 あの日、一緒に最初の一歩を踏み出した幼馴染達は今頃どうしているだろう。
 
 昔から自分よりずっとしっかり者だった幼馴染達は、旅に出てから更に一回り成長を遂げた。旅の途中で出会うたびにそれを実感させられた。バッジケースに並ぶバッジは会う回数を重ねるごとに増えてゆき、埋まっていく図鑑のページに驚かされた。自分もポケモンとの軌跡を見せたくてポケモンバトルを挑んだが、今のところ負けっぱなしだ。競い合うようにジムバッジを集め、ポケモンリーグを目指す二人は今も目標へ向かって走り続けているのだろう。

(今までは何をするのも一緒だったのにな。ううん、今も一緒に旅をしているけれど……あたしにはまだ二人みたいな目標がないから、疎外感を感じちゃっているのかな。)

 幼馴染のチェレンはチャンピオンを倒すのを目標に、ジム戦を次々と突破してバトル修行に明け暮れている。頭脳明晰の彼のポケモンバトルは無駄がなく、いつも感心させられる。面倒だとよく口にする割には努力家で、もう一人の幼馴染にバトルで何度敗れても諦めずに挑戦していく。
 もう一人の幼馴染は、誰より早くポケモンと仲良くなった。あの子とポケモンバトルをすると勝っても負けても楽しませてくれるので、つい夢中になってしまう。ポケモンと心を通わせる才能でもあるのだろうか。
 ミュージカルの前で追いかけてきた父と会った時、何も言わずに傍にいてくれた幼馴染はとても心強かった。きっとあの子のポケモン達も同じ気持ちなのだろう。

 ベルは手のひらを強く握り締めた。
 
 自分はトレーナーとして幼馴染達のように強くはなれない。
 また、ヒウンシティの時のように、プラズマ団にポケモンを奪われてしまったら?
 そう考えるだけで涙が出そうになる。もう二度とあんな思いはしたくない。

 体を起こし、ベッドの上に座り直す。
 ごちゃごちゃになった鞄の中から、赤と白の小さな機械球を引っ張り出した。真ん中のスイッチを押すと、ポンと軽快な音と共にポケモンが飛び出してくる。
 丸々とした体にオレンジの体毛を生やしたポケモンが、二本足でしっかりと立ってベルを見上げていた。旅立った頃は四本足で、ちょこちょことベルの後ろをついてきていたパートナーは、もう抱き上げる事が出来ないほどに大きく成長していた。

 「チャオブー、あたしに何ができるかな?」

 チャオブーはベルの質問に、お腹をさすりながら大きく口を開けた。
 ベルは苦笑しながら鞄からポケモンフードの袋を取り出して、チャオブーの口に放り投げてやる。チャオブーは数回咀嚼するとすぐに飲み込んで、また大きく口を開く。ベルはチャオブーが満足するまでポケモンフードを口に入れてやった。
 袋が大分軽くなった頃、ようやくチャオブーは口を開けるのをやめて、ベッドに飛び乗ってきた。チャオブーの体が弾んでベルの隣に転がる。膨らんだお腹を撫でてやると、嬉しそうにグウグウと鼻を鳴らした。
 手のひらからは炎タイプ特有の熱い体温が伝わってくる。胃袋の中にある炎がポケモンフードを燃やしているので普段よりも体温が高い。


 「チャオブー、あたしと一緒にいるのは楽しい?」


 まともな返事が返ってこないのは分かっているのに、ついつい話しかけてしまう。
 しかし、チャオブーは耳を動かしながら、どう見ても頷いているとしか思えない仕草をしたので、ベルは驚いてポケモンフードの袋を取り落としてしまった。
 驚いているベルを真っ直ぐ見上げながら、チャオブーは真面目な顔でもう一度頷く。そしてベルが取り落としたポケモンフードの袋にさっと飛びつくと、勝手に中身を食べ始めた。
 暫く驚きで動けなかったベルだが、旺盛な食欲を発揮しているパートナーの姿を見ているうちになんだかおかしくなって、ベッドの上で笑い転げる。苦しくて涙が出るほど笑ってから、チャオブーから空っぽになった袋を取り上げた。


 「もう、食いしん坊なんだから」


 チャオブーはちっとも悪びれない様子で満腹になった体をベッドに横たえてうとうとしだす。
 普段はまるで小さな子供みたいなのに、旅の道中では野生のポケモンや様々な危険から守り、助けてくれる。落ち込んでいた気持ちまで、吹き飛ばしてくれた。本当に不思議な不思議な生き物だ。

 ポケモンといると毎日がとても楽しい。
 まだまだ自分に何ができるのかは分からないけれど、きっと旅をしていれば自ずと見えてくるだろう。


 「まずは、あたしのやりたいこと見つけないとね!」


 ベルはベッドから立ち上がると、転げまわって皺になった服を整える。
 斜めになった帽子をしっかりとかぶり直した。 

 鞄の中からモンスターボールを取り出して、ベッドの上に並べる。
 出会った時のことを思い出しながら、一つ一つのボールを愛おしげに撫でた。
 
 今の自分のやりたいことは、ポケモンと一緒に旅を続けること。まずはそれを全力でやればいい。


 「まずは、ライモンジムに挑戦!がんばろうね、チャオブー!」 


 チャオブーは耳をぱたつかせながらベッドの上で飛び跳ねてベルのやる気に応える。
 遠く響く遊園地のマーチを聞きながら、チャオブーとベルは小さな拳を天井に突き上げた。


 旅を初めて、まだまだ一ヶ月と少し。
 自分の限界を決めるには、まだまだ早い。

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